新しいことに挑戦すると同時に、創業時から受け継いできた「伝統」を後世に伝えていくことも我々の使命だと思っております。
次なる伝統を創造し、新たな「伝統」を作り上げていく、それこそがこれまでの「伝統」を受け継ぎ後世に伝える真の役割だと考えています。
私たちは感謝と誇りを持って日々精進しております。
桃山末期から江戸時代にかけて、加賀にはすでに約200軒の紺屋があったと言われており、 当時は藍染を主とした紺屋、紅や茜を主とした茜屋があり、加賀のお国染めとして種々の染色がなされていました。
加賀友禅の染色技法が確立されたのは、江戸元禄の頃、 京都の町で、石川県の能登穴水の生まれの人気の扇絵師であった「宮崎友禅斎」が金沢の御用紺屋棟取の「太郎田屋」に身を寄せ、斬新なデザインの模様染を次々と創案。その傑出した能力で友禅糊の技術を定着させるなど、加賀友禅の発展に大きく寄与しました。
現在の友禅という言葉は、宮崎友禅斎の名前からとられたもので、「糊で防染した、着物の模様の技法」の意味であります。
手描き友禅は、模様の輪郭をつくる防染のための「糸目糊」が特徴であり、友禅染の美しさは、糸目糊によってつくられると言っても、過言ではありません。
その後、加賀百万石の武家文化のなかで培われ、加賀五彩と言われる臙脂・藍・黄土・草・古代紫を基調とした彩色で、自然の息吹を封じ込めた様な落ち着きのある写実的な美しさが特徴です。仕上げに金箔や絞り、刺繍など染色以外の技法をほとんど用いないことも京友禅とは異なる特徴の一つです。
また、当時全国の染色の大部分の図案がパターン化され、模様化されていましたが、金沢では紺屋棟取によって絵師達が抱えられており、その絵模様にもとづいて友禅が描かれました。
こうして加賀友禅は、加賀藩の文化振興政策の庇護のもと、従来からの染色技法に加え色絵、 色絵紋などの技法が加わり確立・発展をしてきました。
友禅技術もいっそう進歩し、加賀の産地でも昭和43年には型友禅と地染め工場の水洗共同作業場を中心とした 協同組合加賀友禅染色団地が金沢市専光寺町に設立されました。同50年には国の伝統的産業工芸品の指定を受け、 同57年には金沢市兼六町に加賀友禅伝統産業会館が建設されるなど、友禅業界の協業化が進みました。
近年では、全国の友禅染の主要な産地が染色技術の合理化を進めてきたのに対して、金沢では、作者や職人の心を伝えるために、数多くの手仕事の工程を残しています。